2009年5月22日金曜日

ときどき思い出すこと ~川崎病のこと~

私は、元川崎病患者です。

川崎病をご存知ですか?
ぜんそくではありません。
心臓の病気です。


私はこのブログ以外に、
某SNSサイト、m*x*にも参加しています。

そこで私が参加しているコミュニティに、
『元 川崎病』というのがあります。
文字通り、私自身が「元 川崎病」なので、
ふと思い立ってコミュニティを探したのです。

思った以上の参加者に驚きました。
自分と同じ病気を持っていた人間が
これだけ多くいたのだと、
知ることができたのです。
とてもうれしいことでした。
この病気だった人、
私の身近には、誰もいませんから。

しかしその反面、
立てられるトピック、
書き込まれるコメント、
その一つひとつを見るにつけ、思うんです。
自分が幸福/健康であることに、
つねに感謝をしなければならないと。

元患者の中には、
深刻な後遺症に悩まされている人たちが
たくさんいます。
後遺症の残らなかった私にとって
この事実は、非常にショックなものでした。

当時、医師から聞いた話では、
大部分が、幼児期に発病するとのこと。
私が発病したのは、8歳直前。
かなり異例なケースでした。

病気が分かった時点では、
まだ動脈内に、瘤はできていませんでした。
発見が、比較的早かったせいもあったのでしょう。
そのため、
カテーテル検査もすることなく、
身体にメスも入れずに、
点滴・投薬のみの、約4週間の入院だけで、
私は退院することができました。

退院後は、定期検診に何度か通いました。
心臓に負荷をかけたりしながら、様子をみます。
超音波検査(心エコー)をしたり。
踏み台昇降運動をしながら、
合間に心電図をとって、波形を調べたり。
それでも異常は出ませんでした。
私には後遺症は、何も残らなかったのです。

その後は、体力向上に励みました。
そもそも、身体が強いほうではなかったのです。
プールに行けば気管支炎になり、
友達の家に遊びに行けば熱を出す。
そんな子供でした。

そこで翌年(小3)から、
テニススクールに通うことになりました。
高3まで、週1で通い続けた結果、
どうやら人並みの健康を維持できるようになりました。

その後何を血迷ったか(笑)
大学では体育会のテニス部に入り、
怒涛の4年間を過ごすことになります。

今思うと、これができたのは、
あのとき何も後遺症が残らなかったおかげです。

コミュニティ内のコメント。
後遺症で瘤が残り、大人になってもずっと
検査に通いつづけている人。
運動を控えるため、
体育の授業をずっと見学しつづけた人。
心臓のバイパス手術を受けた人、
これから受ける予定の人・・・

つらいです。
自分もこの人たちと同じ病気だったのに。
事態が事態なら、
自分がその立場だったかもしれないのに・・・


この病気は、いろいろな意味で、
私の人生を変えたような気がします。

私よりずっと小さいのに、
長いこと病院で暮らしている子たちを何人も見ました。
脳に病気があり、
特別病棟と小児病棟を行き来している、
同い年の子もいました。
糖尿病を持っていて、
定期的に入院しているらしい中学生もいました。

このような環境で過ごした約1ヶ月は、
私の中に、おそらく何かの痕跡を残したはずです。
それはきっと、
単なる想い出とは違う、何か別のもの。
それはきっと、
意識して自覚できるものではないようなもの。
考えて理解するとか、そういう範疇には入らないもの・・・

・・・私がベルクソンの哲学に引きつけられているのは、
自分の中の、何かこのような部分が、
反応しているからなのかもしれません。

・・・なんだか自己完結してしまいました(苦笑)

でもとにかく、これを最後まで読んでくれたみなさん、
ぜひ心に留めておいてください。
川崎病という病気があることを。
見た目には元気でも、
心臓に不安をかかえたまま大人になっている人が
何人もいることを・・・


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